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日本におけるイヌの歴史について調べてみた2

先史・古代のイヌ2

弥生時代の遺跡からは縄文犬と形質の異なる犬が出土しており、

長崎県の原の辻遺跡などでは、

解体された痕のある犬の骨が発見され、

食用に饗されたことも窺える。

『日本書紀』には日本武尊が神坂峠を超えようとしたときに、

悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、

一匹の狗(犬)が姿を現し、

尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述がある。

そして、『日本書紀』には天武天皇5年4月17日(675年)の条に、

4月1日から9月30日の期間、牛・馬・犬・猿・鶏の、

いわゆる肉食禁止令を出しており、

犬を食べる人がいたことは明らかである。

なお、長屋王邸跡から出土した木簡の中に子を産んだ母犬の餌に

米(呪術的な力の源とされた)を支給すると

記されたものが含まれていたことから、

長屋王邸では、貴重な米を犬の餌にしていたらしいが、

奈良文化財研究所の金子裕之は、

「この米は犬を太らせて食べるためのもので、

客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。

奈良時代・平安時代には貴族が鷹狩や守衛に使う犬を

飼育する職として犬養部(犬飼部)が存在した。

日本におけるイヌの歴史について調べてみた1

先史・古代のイヌ1

日本列島においては犬の起源は不明であるが、

家畜化された犬を飼う習慣が

日本列島に渡ってきたと考えられている。

縄文時代早期からの遺跡から犬(縄文犬)が出土しており、

埋葬された状態で出土した事例も多い。

縄文早期から中期には体高45センチメートル前後の中型犬、

縄文後期には体高40センチメートル前後の小型犬に変化し、

これは日本列島で長く飼育されたことによる

島嶼化現象と考えられている。

なお、1990年代に縄文人と犬との関係の定説に

再考を迫る発見があった。

霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現:行方市)で

発掘調査された縄文中期から後期の於下貝塚から、

犬の各部位の骨が散乱した状態で出土。

犬の上腕骨1点に、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。

調査報告では、犬を食用として解体してた物的証拠と評価しており、

日本列島における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い。